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今年ももうすぐ終わりということでHDを整理していると、そのまま処分せずにおいたスクリーンショットがたくさん出てきた。

もう忘れかけているプレイヤー名がちらほら出てくる中で、やはり自身の関心はヒト(または繋がり)にあったんだな、と改めて思った。
最初訳も分からず大きな軍人商会に所属しそれらまたはゲーム仕様の流れに翻弄され、ただ戦闘での勝ち負けにしかこだわりを持たなかったヴォルテール時代は孤独だった。

スクリーンショットを見るとひとりで座りこんでいる写真や背景が主体になっているものが多い。そこにヒト(他人)はいなかった。

逆にネルソン時代のスクリーンショットでは一人で写っているものがほとんど見当たらなかった。いつも誰かしらヒト(他人)がいる。プレイ年数が長くなり余裕が出てきたこともあるだろうが、無意識のうちにプレイヤーに自身の願望を投影していたように思える。

・ヴォルテール ⇒ 勝ち負けにこだわるプレイ
・ネルソン ⇒ 人と人をつなぐ役割を演じるプレイ

トータルで4~5年ほどプレイ?していたと思うが、本当にプレイする喜びを感じたのはネルソン時代の1~2年である。イベントをいろいろやってみて価値観が変わったことも大きかった。

ガチンコ(真剣勝負)8割 、エンターテイメント(笑い、バカバカしさ)2割 の構成で考えていたと思う。

イベントにとって大事なのは、むしろ2割のエンターテイメントだと考えている。

笑いやバカバカしさ、ナンセンスさを思いっきり追求して、戦いきって力尽き果てるまで腹がよじれて笑い飛ばすまでそうやってもう何も無いと思っていた後に撮影したスクリーンショットには、
唯一つ本当に心から求めていた、人と人との繋がりというものが残っていた。
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2013.12.30 Mon l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲
ひさびさに公式サイトを見てみて非常に驚いてしまった。
http://www.gamecity.ne.jp/dol/gran_atlas/chapter1_4.htm

Gran Atlasについての記事であるが、今更実戦を優遇させたとしてもすでに遅い。
自身も帰るつもりがないし、複雑に仕様の追加・変更がなされている今の時点でのルールでプレイしてみたいとも思わない。

物事にはタイミングがある。旬の時期に適切なアップデートを行わずして何をいまさら実戦優遇なのか。

かくいうワタシは他ワールドに先駆けて一度実戦大会を開いたことがあったのだが、(来るべき時代を見据えて~アップデートなどでの期待感)
それは大航海時代オンラインというゲームの時代背景を考えた際に一番の見せ所は、
外洋での戦い=(つまり)実戦
だと考えていたからでもある。このゲームの一番の肝(大事なところ)であり華(見せ場)である、と。

勿論模擬戦にも価値は十分に認めていたが、飽くまでも模擬=(つまり)練習、すぎない。
・いつまでも軍人は模擬戦(練習)で満足していてはならない。
・模擬戦(練習)は外洋におけ来るべき実戦(本番)のための準備にすぎない
という考えが根底にあった。

本番をやることなく永遠に練習に甘んじておかなければならない軍人プレイヤー諸氏は、強大な戦闘力を誇示できず広いワールドの中でもごく一部の狭い海域で毎日コソコソと練習にいそしむ姿には、個人的には哀愁を帯びた「悲劇としての存在」を少なからず感じていた。

実戦(または優遇措置)への道しるべ(誘導)は、そういった「悲劇としての存在」を「本来のあるべき姿」へと戻してあげることをも意味するように思える。

ただ残念なのは時が遅すぎたこと。そして運営が(海賊を含めた)軍人プレイヤーの扱い方を誤ったこと。

運営が悪いのは当たり前だが、せめてもの救いはオンラインゲーム(仮想空間)を卒業しリアルに専念できるようになったことだろうか・・・。
2013.12.15 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
定刻通りに部屋を出て、階段を駆け上がりトイレで用を足し長い廊下ーそれは途中何度も折れ曲がる・・・少し息が弾みかけてきた頃、狭い幅を何人もすれ違う先の遠い視界に一人の見慣れたひと。

お互いの距離はだんだんと小さくなりすれ違うその一瞬、うつむき加減な彼女はハッとしたように我に返りこちらを見る。しかし薄らと憎しみを帯びた表情の一瞥をくれたまま流し目でワタシを睨み、すぐに顔をそむけ足早に去って行ってしまった。

毎日のように繰り返されるこの光景にいくぶん心は穏やかさを取り戻したものの、相変わらず痛みを与えてくれる。

本当にワタシが何をしたというのか!?
(無論まったくの心当たりが無い訳でもないが敢えて書かないでおく)

寝ても覚めても何度も繰り返し出てきて悩まされたこの自問自答。
無欲と煩悩の間(はざま)を何度も行ったり来たりする心の動き。

しかし今日ではこれらの思い出は過去のものになってしまった。
いったいあれは何だったのだろう。
今でもその邂逅ー巡りあわせに答えが出せずにいる。
2013.12.08 Sun l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
晩秋の冷たい風が吹き抜ける広い草原の中にひとりで長い間立っていた。
辺りには遥か彼方(かなた)まで木の一本も見えやしない。あるのは背丈がひざくらいまでしかない一様な高さの草の生えた草原だけだった。

何時間待っていたことだろう。体には軽い疲労を覚えながらもワタシは微動だにせずただひたすら遠くのほうを見つめていた。

待っていた?果たして何かを予期していたのだろうか。。。

すると遠くのほうからどんよりとした重たい雲、それは積乱雲であった。がゆっくりと近づいてきた。
雲は遠くからでもはっきりとわかる丸っきり季節外れの雷雲だった。
ピンク、紫、緑、黄色・・・雷は様々な艶めかしい色をきらめかせながら、雲はまるでくねくねと生き物のように近づいてきた。

そのうちぽつりぽつりと降り出してきたかと思えば、すぐに案の定のどしゃ降りになった。
激しくザァザァと頭上に降り注ぎ着ていた服は瞬くまにぐっしょりと濡れてしまった。

しかしワタシはそんなことは意に介するもなく一時も目を逸らすまいとただひたすら凝視し興奮しつつ雷雲をじっと見つめていた。

ドドドドーーン、という大音響で心臓が止まってしまうのではないかと思えるほどの衝撃が体中を走り抜けた!だがひれ伏すことなく大きな空の真ん中に一瞬の輝きを放つ綺麗な樹形をした雷を両の眼(まなこ)ではっきりと見た!

あぁ俺はこれを見たくてだだっ広い晩秋の寒空の草原の中、何時間も疲労を苦にせず待ち続けていたのかと覚った。いくら触れようと願っても身を焦がされてしまうことは分かっている。
今はただその姿を脳裏にはっきりと焼き付けることでしか救われない気がした。

あれほど待ち焦がれた雷雲は足早に去って行き、いつの間にか空の雲の切れ間から柔らかな陽光が差し込んでいた。また晴れてしまったのか・・・。残念に思いながらも茫然としたまま誰もいない草原の中濡れた服もそのままにしばらくの間佇んでいた。
2013.12.03 Tue l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
ボードレール、ヴェルレーヌ、ポー、バイロン、ゲーテ、高村光太郎、宮沢賢治、萩原朔太郎、北原白秋、三好達治、・・・
少年期、青年期を通じて慣れしたしんだはずのこれら詩集はワタシの半生にたしかに潤いをもたらしてくれる、ハズであった。

しかし成人となり中年の域に達する年齢となり過去を振り返ると、そこにあるはずの艶やかな記憶、みずみずしい感性は虚ろで空っぽのままだった。

最近たまらないほどの郷愁(ノスタルジア)と憂鬱(メランコリック)に襲われてしまう。
過ぎ去ったはずの風景の数々を思い起こさせる出来事ばかりが身近に起こってしまうためだ。

きっと少年期、青年期を通じて慣れ親しんだそれら詩集は今日(こんにち)までワタシに潤いをもたらしてくれてはいなかったのだろう。

それらはまるで失ってしまった時を取り戻そうと運命が時間を逆行させているかのようだ。
2013.10.20 Sun l 未分類 l COM(3) TB(0) l top ▲
三十を過ぎ年を経るごとに小さくなる胃袋。
十代、二十代は貪欲にすべてを呑み込めた。
時にはまるで世界を呑み込めるような錯覚さえ覚えた。

そして三十も後半にさしかかり胃袋は元気をなくした。
それは確かに元気をなくしたのか?

否、これまで呑み込んでいたものをすっかり吐き出してしまったのだ。
胃袋はこれ以上何かを呑み込むことにとうとう飽きてしまったようである。

年を経るごとにまるで自浄されていくような感覚の中で、心の葛藤も和らいでいく。
(または痛みに慣れてしまったのかもしれない)

今の胃袋をいっぱいに満たせるのはモノではない、それは自分自身を超えた価値観なのかもしれない。
2013.10.19 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
あなたが心の底から本当にワタシのことがキライなのは重々承知しています。
あなたがワタシから顔を背けたくなるほどの憎しみをもって軽蔑しているのはハッキリと分かっています。

しかしこれだけは覚えておいてください。

あなたの家族よりも友人よりも大切な人よりもそして世界中の誰よりも、
ワタシはあなたの最良の理解者でいたいのです。

最期まで。
このまま年老いて力尽き、はかなく命が燃え尽きる最期まで。
あなたのその小さな可愛らしい手を取り最期まで。
そっと支えていたいのです。
2013.10.17 Thu l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
最近一日が過ぎ去るのが長いように感じてきた。
それは夜が長くなりつつある秋のせいばかりではない。

明日が来ることがどれほど待ち遠しいことか。
期待と落胆を繰り返す毎日。

ワタシはいったい何を待ち焦がれているのだろうか。
分かっている。ちゃんと分かっている。
胸の底に眠る感情にいくら蓋をしようとも、その隙間からほとばしり出てくるような熱い情熱まではどうしても抑えようがない。

秋の夜長はワタシを一層狂おしくさせる。
2013.10.16 Wed l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
芸術の秋、食欲の秋、運動の秋、・・・

いろいろと○○の秋と呼ばれることは多いけど、ワタシの場合は感傷の秋である。
残暑の厳しさがようやく和らぎ、夜も冷え込むようになってきたこの頃。
風景・音楽・文学・・・さまざまなものに触れ五感を刺激されてくるとワタシの場合、
どうしても感傷的になってしまう。
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詳細は書かないが、つい最近身も心も焦がされるような出来事があった。
まるで地獄の業火に焼き尽くされるような体験だった。
そして学生のころ読んだ芥川の「地獄変」の一節を思い出した。

まさかこの年で地獄で鬼どもの責苦にあうとは思わなかった。
毎晩逃れられない苦しみで悶絶し無数の煩悩に悩まされ支配され、そうしつつも自己の内面と冷静に向き合い対話するしか方法がなかった。
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日本の人口は1億2千数百万人、世界第10位である。
つまりこれは世界で同胞と呼べる人間が世界で10番目に多いことを意味する。
それだけ多ければ通常はコミュニケーション取る相手に困らないはずである。
しかし価値観が多様化している現代においては、人口の数がいくら多くても心の通いあえる人たちは意外と少ない。それは言い換えると我々は日々通信はしているが、心が通い合っているわけではない、ということを意味する。
1億2千数百万人、いることにはいるが逆説的には「ほとんどいない」ことと同義である。そんなことを考えているとふとしたことで心の空虚や、たまらない寂寥感に襲われてしまう。

あらためて「生きていることへの意義」を考えつつも、このような気持ちはきっと感傷的な秋という季節がそうさせているに違いないと思い、念じるように強く心に言い聞かせることにした。
2013.10.12 Sat l 未分類 l COM(0) TB(0) l top ▲
あけましておめでとうございます!

昨年はひさしぶりにインしてあまり目立った活動は行っていませんでしたが、
会話中でいろいろな懐かしさを覚えタイムスリップしたように感じました。

さて唐突ですがご愛読いただいた「大航海時代onlineプレイの追憶」は消しさることとします。(読み切りのように)
過去に感じたわだかまり、成しえなかった夢・物事、その他喜び、感動など諸々のいっさいがっさいを捨て去り、別の新しいなにかを得るべくまたイチから考えていこうかと思っています。

それでは本年度がみなさんにとって良い年となりますように謹んでお慶び申し上げます。

謹賀新年 2012年
2012.01.03 Tue l 未分類 l COM(0) TB(2) l top ▲
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